ドラマでは「明国を攻めるのは仕事を与えるため」と秀吉が語るが(『真田丸』を見て155)
- 2016/07/09
- 08:44
『NHK大河ドラマ 真田丸』第26回放送『瓜売』でにおいて秀吉は、鶴松君の死後、突如として明国を攻めると言い出します。
そしてドラマの中で秀吉は、明国への遠征理由として「武士に仕事を与えて豊臣に逆らおうと考えを起こさせぬため。」といった意味の発言をします。
これまで現代日本人は、秀吉による明国への遠征を思う時、それは天下を統一した秀吉が、改めて次なる戦いを海外へと求めた結果で、突然の思い付きであると思いがちです。
他にも、信長の意思を継いでの行動だったなどと。
しかし、このようなつい最近まで定説化していた秀吉よる明国への出兵についての説を、近年では誤りだと唱える説が有力視されはじめているようです。
私も、「せっかく自らの手で天下統一を成し、日本国から戦が無くなるた矢先だというのに・・・・。
なぜ秀吉はこの後に及んで明国を攻めるなどと大それた考えを突如として持つようになったのだろう?」と疑問を持って初めてその事を知りました。
なぜなら私自身、秀吉による朝鮮半島への遠征を、日本史としてではなく、何十年も前の歴史の教科書や、戦国ドラマなどから得た知識でしか捉えていなかったからです。
この日本の天下統一を果たした天下人秀吉が大明帝国の征服を目指し、配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げた戦いの正式名称は、文禄・慶長の役と称されます。
文禄・慶長の役 - Wikipediaによれば、
秀吉による明国遠征の動きは、秀吉が天下統一を成して後に思い立ったのではなく、かなり以前からその構想は秀吉の頭の中にあったようです。
ですが文禄・慶長の役 - Wikipediaにおける記述は、極めて詳細で長文によるもので、およそ私などのにわか勉強で完読できるものではありません。
この戦いに興味を持った方は、ぜひともこの難解な記述を読破理解し、私にも分かり易く説明して頂ければと思う次第です。
とは言っても、理解出来ないと言ったままで済ませるわけにもゆきません。
わからないながらも、ザッと理解し得た事で紹介させて頂くと、
秀吉本人が史学的に外征計画を抱いた初めであろうとされるのは、関白就任の頃(1585年)だそうです。
つまり小田原征伐以前に秀吉は大陸への出兵を考えていたようで、出来れば直ぐにでも大陸へと軍を派遣したかったようです。
ところが、秀吉の思いとは裏腹に、北条氏は秀吉に臣従することを拒んだために、小田原征伐を断行し、その後まもなく鶴松君(棄)が亡くなるなどの想定外の出来事が続き(北条がすんなり臣従していれば、その時点で伊達政宗も秀吉に逆らうことをあきらめ、その年が天下統一の年となっていたでしょう。)、結果的に1592年から朝鮮への出兵が開始されることとなったようです。
そして秀吉が敵国として目指したのは、朝鮮半島ではなく、明国(現代の中国)だったのですが、当時の日本の航海術が、コンパスや天体を使っての現代的なものではなく、海から見た陸地に見える山や島などの位置関係を目視で読み取ることで現在の位置や、目指す目的地へのルートを知るという非近代的な航海術であったがために、日本から大陸を目指すには、目視しうる島々や半島などが連続的に存在するルートを辿った結果として朝鮮半島への豊臣軍上陸となったようです。
ということで、上記のような記述には、当然三谷幸喜さんも目を通しているはずですが、それでもあえて『NHK大河ドラマ 真田丸』では、武士に仕事を与えて豊臣に逆らおうとする考えを起こさせぬために秀吉は明国攻めを決断したという設定にしたのでしょう。
しかし、現代の説では、秀吉は天下統一を成すかなり以前から、海外征服への野心があったと言うのです。
また別の説として豊臣秀吉の朝鮮出兵の真実を、日本人として知って置くべき ...では、当時世界を席巻しつつあったスペインが日本に攻め入る前に、秀吉が先手を打って大陸へと打って出たとしています。
文禄・慶長の役 - Wikipediaにある説にしろ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の真実を、日本人として知って置くべき ...にしろ、いずれも実に興味深いお話であることは間違いありません。
ですがいかにも難解で、容易くブログ用に簡略化して紹介しうる説ではありません。少なくとも現時点の私には、ですが、これらの説の是非を見極めようとする方は、是非とも読破されることをお勧めします。その節は、心してかかられよ、諸君!
文禄の役『釜山鎮殉節図』
釜山鎮城攻略の様子で左に密集しているのは上陸した日本の軍
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