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稲の聚楽第行き拒否。秀吉の人質政策こそ豊臣滅亡の原因かも(『真田丸』161)

これより『NHK大河ドラマ 真田丸』の展開は、秀吉の家族であった秀次、秀勝、秀保、秀俊(小早川秀秋)、日本各地の大名、織田信長の家臣として秀吉と行動を共にした前田利家ら(織田信雄を含む)、豊臣家の中にあって他の豊臣家臣から嫌われた石田三成、豊臣秀頼の母としてあくまでも権勢を欲しいままにしたかった淀殿、賤ヶ岳七本槍と呼ばれて秀吉の権勢に貢献して来た加藤清正、福島正則、片桐且元、平野長泰(ドラマでいつもスルメをくえているおっちゃん)らの徳川への加担、北政所のスタンス、毛利家内の勢力分裂、四国・九州勢の動き(島津家の分裂など)、などが複雑に絡んで、豊臣家の滅亡へと大きくかかわって行きます。

それぞれの人間模様があまりにも複雑であるため、恐らくドラマ上では描ききれません。

ですが視聴者の皆さんには、現在ドラマ上によく登場している淀殿、家康、北政所、秀次、秀保、秀俊、石田三成、加藤清正、片桐且元、平野長泰、宇喜多秀家、大谷吉継らの今後の動向だけでもしっかりと見て頂きたいと思います。
もちろん当ブログでは、可能な限り、各武将について記したいとは思っていますが、力及びますかどうか?

さて、今後のドラマ展開についての注目点についてはこれくらいにして、そもそも豊臣が滅び、徳川の世となった理由とは何なのでしょう?



いかにも漠然とした疑問ですが、思うに、秀吉と家康の大きな違いの一つとして、秀吉は自ら天下統一のために日本各地の諸大名と戦い、力でねじ伏せたのに対して、家康は秀吉の命に従っての戦いが殆どで、諸侯の恨みを直接的にかう行いは無かったということではないでしょうか。

その中で、数少ない徳川との激突を繰り返したのが、信濃の小国:真田家だったと言えるでしょう。
しかしその真田家においても、嫡男:信之は本多忠勝の娘:稲を正室として、徳川との縁戚を持つことになってしまいました。

ドラマの中で稲は、聚楽第への出向を信之に対してキッパリと拒否していましたよね。
ですが信之の元妻?こうの説得もあって聚楽第での生活を余儀なくされるのですが、これはドラマの中でも語られるように、秀吉が力づくで従わせた各大名の裏切りを阻止するための人質集めで、真田家だけに限ったことではないことは言うまでもありません。

豊臣家の滅亡は、秀吉の晩年の凶行や秀吉没後の淀殿の姿勢、嫌われ者:石田三成の台頭などはその大きな原因であったことは間違いありませんが、秀吉が天下統一を成して後の諸侯の人質政策も諸侯に対して恨みを残した大きな要因だったと思えます。

一言:大々的な人質政策を行わなければ、安心出来なかった秀吉ですが、果たして天下統一後もこの政策は必用だったのでしょうか?天下統一を成した以上は、諸侯も人質をとられなくても、秀吉に従わざるをえなかったと思えますし、その後の災いを小さく出来たのでは?と思えます。)


そこんところを踏まえて、『NHK大河ドラマ 真田丸』第27回放送『不信』での稲の駄々っ子のような言動を見て頂きましょう。


上野国 沼田城での信之と稲の会話
信之:「京へ上るぞ。」
:「京でございますか?」

信之:「この度、御門(みかど)より官位を頂くこととなった。そなたも参るのだ。」
:「私もでございますか?行きとうございませぬ。」
信之:「そうはいかぬ。大名は妻を、京に住まわせる決まりになっておるのだ。母上も今は向こうに居る。お前もこれを機会に、今日へ移るのだ。」
:「お断りいたします。」
信之:「定められたことなのじゃ。」
:「稲は参りませぬ!」
信之:「文句があるなら太閤殿下に申せ!」
:「稲はこれ以上、生まれ故郷から離れて暮らすのは御免でございます!」
信之:「近々出立するのだ。身支度を整えておけ。」
:「稲は参りませぬ!!」
場面変わって信之が去った後、稲とこうとが語る場面です。
稲は信之の申し渡しを理不尽に思い、縁側で一人、自らの気持ちを整理しようとしますが、それも叶わず、ため息を吐いた後、人を呼びます。
:「たれか。」
こう:「お呼びでございますか?」
:「浜松へ帰る、支度せよ。殿が、京へ連れて行くと申された。私は行くつもりはない。もはや、浜松へ帰るしかなかろう。」
こう:「それはなりませぬ。奥方様、辛い思いは、あなた様だけではありませぬ。ご存知なくとも、あなた様よりもっと辛い思いをしておる者が居りまする。」
こうはそう言い終えると、自ら進み出て稲の手をとり、精一杯の思いを込めて諭します。
こう:「乗り越えねば、何としても乗り越えねば、奥方様の帰る先は、ここより他どこにもありませぬ。」
そう言って真っ直ぐに稲を見つめる視線に耐えかねて、稲は目を逸らせてしまいます。己の思いもままならぬ悔しさに目に涙を浮かべながら。

恐らくこうした光景は、人質として豊臣の本拠に向かわされた各大名の妻にとって、各々の国元で経験した光景でしょう。
それが定めと自ら進んで行く者、ドラマ上の稲のようにひたすら拒む者、しかし、戦国武将の妻には、それを拒むことは許されません。
戦国時代の女性には、政略結婚、略奪婚、人質等々、自身の思い通りになることなど殆どなかったのです。
しかし、恋愛結婚は全く無かったのかと言うと、そうでもなかたようですが・・・。

次回は、昌幸、信之、信繁は官位を得たことで何を得、何を失った?(『真田丸』を見て162)を記したいと思います。

稲の薙刀
男勝りな稲の薙刀げいこ
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