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秀吉が秀次に対し赤子の拾にと九州を望んだ理由、お分かりですね(『真田丸』を見て165)



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『NHK大河ドラマ 真田丸』第27回放送『不信』の前半では、秀吉は淀殿の第二子として誕生した子の名が『拾』であることを寧、淀殿、秀次らにお披露目した時、秀次に頼み事をします。

それは生まれたばかりの拾のために、日本の国を5つの領地に分けた内の一つだけを拾のものとしてほいというものでした。
そしてこの時たった一つだけ望んだの領地とは、九州だったのです。

ではなぜ秀吉はどこよりも九州の領地を拾のためにと望んだのでしょう?
ずっと当ブログをご覧頂いている方なら、もうお分かりですよね。
えっ、分からない?だとしたら私の説明方法に問題があるのかな?
ではヒントです、
拾の誕生当時、秀吉は全国の諸大名に号令して明国を攻めさせていたんですよ。
だから九州なんです。
まず前ページを思い出して下さい、秀吉は当時九州に築城した名護屋城を拠点としてすべく朝鮮半島へと大規模な遠征隊を送り込んでいました。
何のために?明国を支配するために、いわゆる文禄の役です。
つまり秀吉は中国大陸~日本本土にまたがる地域を支配しようとしていたのです。
結果的にはこの遠征は失敗し、間もなく秀吉はなくなりますが、もしも明国~日本本土に渡る地域を支配できていたなら、大陸と日本本土の両方を支配し、治めるために最も適した地域が九州北部の沿岸部だと考え、その支配権を、我が子に与えたいと思ったのでしょう。
そのために遠征実行の直前に関白職を秀次に与え、日本国内の支配をを秀次や秀保などに任せようとした。
そして豊臣本家は九州北部に移り。大陸と日本を治める拠点とし、名護屋城を政務の本拠としたかった。だからこそ秀吉は拾に九州を与えたかったのでしょう。
そしてその際豊臣本家の居城としたのは、名護屋城だったするのだろうと
 
名護屋城復元したジオラマ
名護屋城を復元したジオラマ  

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